消化不良日記

母がゆーちゃんのことをドケンヤの娘なのにいい職就いて、って言っていた。すごくムッとしたけれど何も言えなかった。本当は、そういう考えの母は変わっていなかったということ、そして、現状ゆーちゃんよりも適当な仕事で食いつないでいるわたしのことが、見えていないのか、色々思ってしまって、そして、きみの親はおかしい、と何度も言われてきたことも思い出して、朝からなんだか、だるい。
わたしのせいなんだろうか、わたしが知らぬうちに、母のことを責めているのだろうか。だから周りにおかしいと言われるのだろうか(とは言え母を前にすると黙ってしまう)。おかしい、って何が基準なのだろうか、母をかばっているわけではないけれどわたしは間違ったことを言ったりしたり、しているんだろうか。
いいこととわるいことがわからなくなってしまった、ティーンのころに、わたしはソウウツを発病した、思い出すのは辛いので書けないけれど、本当に辛かった。あれから6年経っている。今でも、躁鬱病を、躁鬱病になったことを正直言って恨んでいる憎んでいる、本当は、大丈夫なふりしてるけれど、これがなければわたしはどんな人生を送っていただろうと思ってしまう。そんなこと考えたって、仕方がないのにね、現状をかえられるわけじゃないのにね。本当に弱いのは、躁鬱病であるわたしだけではなく、そうでなくても、わたしは弱いんだということを知っている。そんなことを考えてしまうくらいだから。分かっている。よくやさしいねと言われる。やさしい、という言葉には弱いという意味も含まれているであろうことも知っている。やさしくなりたいと思っていた。だけど、わたしの場合ちょっとはやさしくなれたとしても強くはなれなかった。今更だけど精神の手帳を取得した。医師の診断書の内容により等級が決まるらしい、わたしは何級の悪さなんだろうか。何級の悪さ、って、なんだかおかしいな。病状の重さにレベルがあるだなんて。自分がそれをつけられる立場にあるだなんて。現実じゃないみたいな現実。
変な時間に目が覚めてしまった。というのは、5時にようやく眠れたわたしからしたら2時間しか経っていないからだ。相変わらず嫌な夢を見る。昔のこととか、嫌なこととか覚えていないようで案外覚えているものなんだな。現実が夢みたいだ。
おかねがなくてワイファイが止まってしまった。携帯から書いている。家賃もギリ払えるか 払えないかと言った状態。お店で流れているしにたくてーしにたくてーという歌詞の歌が頭にこびりついて離れない。もう大丈夫なはずなのにね。嫌な歌だなと思って聞いている。もう1度布団にもどる。

ゲームが現実だったらいいのにと思う。ゲームは小さい頃触らせてもらえなかったから、架空の世界ってわるくないなと24になって知る、と思いつつ反面時間の無駄だということも思っている、けれどなにかにすがらないとやっていられない。何も考えられなくなっている。たくさん書きたいことがあるはずなのに、思考が停止している。働く為にはそうするしかないんだ。いちいち立ち止まっていると、だめになってしまうから。
そんな中忙しくてすとれすで胃を悪くしてしまった。こんなに頑張っているのに先が見えなくて。でも追い込んでいるのは自分だよ、と友人に言われた。追い込まれているように感じた。エビリファイとラミクタールの合わせて2錠でどこまで頑張ればいいのだろう、持久走のように一週間走って、また来週まで頑張ろ、と自分を励ましてまた次の週も頑張っていたから、大変だった、今も大変なんだけど。

駅で人にぶつかった、よくあることなんだけど、疲れていてごめんなさいとか、すみませんということすら言えなかったできなかった。その先にある駅と駅をむすぶ通路で募金活動をしている人たちがいた。こんな寒い中、他の人の為にこんなにも頑張れるなんてすごいなと思いながら、お金ないのにねー。千円、入れてしまったよ。きたない、せんえん。外がなんだか騒がしい。なんだかこどくだ、それに、なんだか、なんだかなにかがばくはつしそうだ。

 

おはよう

おはよう、今起きたよ。

 

おはようの時間に寝る日々が続いている。今日もアニメを見ていたので4時に寝た。

最近はらしくないんだけれどゲームして、アニメ見て仕事に行くのだけれど、その途中で電車の中も待機中の女の子たちも、みんな携帯をいじっている。わたしなんかは数少ない友人とラインするくらいだし情報に疲れてしまったのでネットもニュースもそんなに見ないしツイッターインスタも凍結されたの?ってレベルで更新していない、そもそもラインやツイッタのDMすら見ていない状態なので、みんな何見ているんだろ〜と、いけないと思いつつもちらちら見てしまう。ツイッタ、インスタ、ゲーム、ゲーム、あとはよくわかんないサイトとか。今は色々あるんだなあ。

ネットの環境が手に入ったのはおそらく中学生くらいの時で、みんな前略プロフィールのアカウントというかページを持っていた頃の時代で、今でいうツイッタのようなリアルをやっていた。掲示板で女の子たちが悪口書きあったりそれを校内で噂されたりとか。あとはよくわかんないゲームのサイトのアカウントとかみんな持っていた。キャリアメールでぽちぽちやりとりしていた頃の話で。

それ以降のことなんだけど高校に上がる前わたしはようやく携帯が手に入ったので携帯向けの個人のホームページを作った。同い年くらいの女の子たちとやりとりしていた。ミクシィとかは制限がかかっていて見られなかったから、そこでブログを書いていたのだけれど。それはまあいいや。

 

まずゲームをダウンロードしてみた。今見ているアニメの育成ゲーム。やり方はお店の女の子に聞いて始めて、今少しずつ土地が広がって食物も育っているんだけど、全然楽しくない。

次に好きなアニメの公式サイトを見てみた。発売されるゲームの情報は載っていなかった。

好きなアニメのファンサイトを見ていた。これ、すごいね。こんなに何かに熱くなって語れるなんて、と思った。

 

わたしの時間だけが止まっているみたい。流行とか、話題のこととかよく知らない。ウツになってからすごく好きなものとか、追いかけていることとかなくなってしまった。前とか昔のこととか思い出せない。ツイッタでつぶやくような内容のこともないしやりとりする友人もいない、出かけないのでインスタにあげる写真もない、から、時間だけが過ぎていく感じ、なんなんだろう、たまに本当に生きているのかなって思ったりする。今は割と精神が安定して来ているのであまりそういうことは思わないのだけれど、たまに、ふと、孤独になってしまうときがある。本当に生きているという実感が湧く時ってどういう時なんだろう、ここしばらく仕事してなんとか生きている状態なのでよくわからなくて。そういう状態ならば孤独になったり一人でいることに疑問を持たないはずなので。何かしよう、ではゲームに逃避してみる。でもこれじゃない。テレビに逃避してみる。でもこれじゃなかったんだよ。

流行とか、話題のこととかよく知っててもウツになる前みたいにすごく好きなものとか、追いかけていることとかあったとしても、そうじゃない、今まで全力でやっていた音楽とか絵とかそういうのがなかったら生きている感じがしないのだと思う。わたしの場合。生きることに必死でそんな余裕がなかった。わたしは何をしたらいいんだろう。ただ生きているだけじゃ何か物足りなくて。描きかけの自画像、教室に置いて来たままだ。

ライブで一緒になった男の子からもう絵や歌はやらないのですか?と聞かれてちょっとどきっとしたから書いてみた。答えは出ない。

感情がない

今まで負の感情から日記、絵、音楽などすべての表現を行なっていたので、比較的安定して来ている為、何か形にしたいという衝動がない。毎日が淡々とすぎて行くので、書くことがなくてついったーもやっていない、もしかしたらなにも考えていないのかもしれない、なにも考えていない方が楽なのかもしれない。

(いわゆる)だめだめ魔●

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完全に私ごと。私ごと以外の投稿なんてないんだけれど、ね。

今朝のやつ。すこしお祈りして師匠直伝のくろかがみやりました。今日は試行錯誤を繰り返したが全然みえなかったなー。ちょくちょくやってないとみられないらしいが、現世とのおりあいがつきません、いわゆるだめだめ魔●でございます。でも壮大な儀式ができなくてもほんのちょっとお祈りするだけでもいいの。はてさてなんでもむずかしがるのはわたしのわるいくせではありますが、献身ってむずかしいなとおもいます。どうしても自分勝手なお願いになってしまいます。そして今日のソレも、気分が乗ったのでいきなり始めたため、お供え物ができませんでした。反省文です。

なんやかやウィッチクラフトに出会ってほぼ四年くらいかー。なにもできていない期間もあるけれど、早川義夫が、歌っていなかった時もぼくは歌っていたんだ、と言っていたように、なるほど、わたしは常に神様と一緒にいるんだ。なんてことをおもいます。

 

さてここからはいつもの。ちょっとだけね。

 

 

リトルグリーンメンなんか可愛いと思ったことすこしもないのに、うそついて、シャコウジレイで、そのキャラクターかわいいですね、って言葉が口をついて出る、そんなわたし自身に嫌気がさす。

髪を切った。どういうわけか、なんだか、落ち着かない。町中のかがみというかがみを覗き込んではためいきをつく。絵画教室にも行ってない。ジゴロはやめて、一人暮らしをはじめてから、どういうわけか、なんだか、落ち着かない。よるもねむれない。

別に何かあったわけじゃない、彼が眼鏡を変えてからわたしにさよならをしたように、ピントがあわなくなってきているんだとおもう。この世界に。電車で携帯をいじっている人たちの携帯をのぞきこむ。みんなやってるやってる。ツイッターもたんぶらーもブログもインスタも。わたしには恐怖でしかない。映像や文章が立て続けにやってくるのが。わたしはやっぱり、アレなのかもしれない。それでも今日も元気だねなんて言われて。はい元気ですなんて、なんでもない顔して返事する。

別に何か困っているわけでもない。なんならなに不自由なく暮らせている。のに、忘我と忘却の気持ちよさをわすれられないでいるそれ以外は。全部ベルトコンベアに乗ってくるものを処理しているだけみたいなの。(^_^)

 

あとだしじゃんけん。ほい。らいぶどあブログがすきなので、移行するかもしれません。すき者はどうかみてくださいまし。

ひとりみ

ツイッターで同い年の女の子が、旦那という言葉を使っていて結婚っていいなとちょっと思った。特別な相手がいて特別な関係であるということ。特別な名詞で呼べる心強さがあるということ。わたしも結婚したら、一人でいる恐怖や不安から逃れられるだろうかなんて思ってしまう。周りはどんどん結婚の話が出てきていて、昔から知っている友達が結婚することで幸せになってくれるとしたら、自分のことのようにうれしいんだなと気づいて、温かい気持ちになりつつ、わたしだって25になるんだし、ちょっと焦ったり、する(弱音を吐くと、特定の相手を選んでずっと寄り添うなんて考えられないし、そもそもわたしなんか、選んでもらえないんじゃないかとすら、この腐った遺伝子を残すなんて、とすら、おもってしまうのだ)。

ねむれなくてたばこに火をつける。今日は弱音を吐くよ。引越しの前はどきどきや、わくわくよりもただただ不安しかなくて、ちょっと感傷的な気持ちになりながら、プチプチにお気に入りのティーカップやら、古い人形やらを包んだ。今年は引越しが多い年だ。男に頼っていたせいでジゴロみたいになっちゃって、色んな町を転々とした。また3度目の引越しの前になって、ダンボールをガムテープでとじる行為を繰り返す。慌ただしさの中で一人かなしい気持ちになりながら。鼻の奥がつんとする。わたしは一人になることを決めた。今日は弱音を吐くよ。男に頼って生きるのやめなよって言われたことがある。確かにその通りなんだけど、誰かしらいてくれないと、と、思う気持ち、さみしいと思う弱さを、一人で抱えきれないんだ。そんななまえのない何かを紛らわすため、またたばこに火をつける。吸って吐くだけ。やっぱり、屋根裏部屋で一人で眠るのは、さみしいんだろうか、そう考えると不安でねむれない。灰皿を買わなきゃ。それから、好きな色のソファも。好きなものがあれば、ちょっとは満たされるのかと、そんなことないだろうと思いつつ、ちょっとでも孤独や不安をしらみつぶしにしていく。たばこはやめられない。美味しいとか、すっきりするとかいうよりわたしにとっては孤独を満たすための行為かもしれない。そのあとでピアノをちょっとだけ弾いたの。懐かしいショパン夜想曲。これだって、孤独を埋めるための苦し紛れの行為、かもしれないね。

最後のキスはやさしかった。弱々しいほどの、唇だけのキスだった、また一人の生活になるということや、彼はとてもやさしかったということが、辛すぎて、心がズキズキするものだから、気づかれないようにこっそり泣いたんだ。そんなありきたりな話。

にっき

今日サイゼリヤに行こうとしたら駅前の公衆広場の音楽やってる人たちが

よく、タイムマシンがあったらどこに戻りたいとかそういう話するじゃんー、でもおれはそんなものいらない今が楽しいよー、今が一番楽しいし、あしたもそう思えるよー

って言っていて、わたしはそのチープというか単純すぎる考え方に首をひねった、わたしもそう思えるかなって思って、いろいろ思考を巡らせてみたけれどちょっとよくわからなかった。生きてて楽しい、ってよくわかんない。一応わたしは全力で毎日生きている。いつ死んでもいいように。でも楽しいかって言われたら、そうじゃないんだな。楽しくなんか、ないんだ、むしろ作品を作る苦しみ、××の×××××××てる諦念、そういうのばっかなんだな。サイゼリヤに行くのはやめた。

わたしは真っ黒だ。たぶん。

 

絵を描いた。絵の具がぐちゃぐちゃに混ざって、混ざって、汚い作品になってしまった。キャンバスが小さすぎた。くやしい、こんなものではまだ表現しきれない。何者にもなれやしないかもしれない。でもちょっとだけ、楽しかった。絵を描いている時や歌っている時の自分以外は自分とは思えなくて自分あるいは自分像が分裂している。だから描き続けるしかないので時間を見つけては教室に行っている、苦しい、でも生きている感じがする。さみしい、でも生きている感じがする。苦しんでるから生きてる心地がするんじゃなくて全力でやってるからなんだよ。

 

そんな中風邪をひいた、同居人がいたからまだよかったけれど卵とじうどんは自分が作った。起きて携帯を見たらラインでサンマルク行って来るね。彼はのんきにコーヒーを飲みに行っていた、この野郎。結局途中で同居人は帰ってきてわたしは二人ぶんのうどんを作るはめになった、馬鹿やろう。うどんの味は濃かった。二人ぶんを作ることになって、煮すぎて、水分が飛んでしまっていた。二人でテレビを見ながら濃い味の卵とじうどんをもそもそ食べた。風邪の時って何をすればいいんだろう、久々の休みで何をすればいいのかわからなくてごろごろしている。体温はさんじゅーろくどきゅーぶ、熱はないけどはやめのパブロンもポカリも効かなくて、まだ今日になっても風邪は治っていなくて、駅まで行ってやっぱり仕事を休んで帰ってきた。で、冒頭にもどる。

聖命

F4のキャンバスに絵を描いている。描く工程は苦しい。描くことで自由になれると岡本太郎は言っていたけれど、 自由になんか手が届かない。それでも筆を握る。色を塗り重ねる。わたしなんか、わたしなんか何者にもなれやしないのかもしれない、でも、今度こそ光が見たいから、ほんの少しでもあとちょっと光が見えそうだから絵を描いている。今年になって歌うことをやめた。限界を感じた。年齢的にも、精神的にも、わたしはステージに立てるほどの強さを持ち合わせていなかった。歌うことはただただ苦しかった。わたしの音楽は誰にも理解されない音楽だった。それでも歌いたかったから歌っていたのだけれど、夏が過ぎて、秋になって、またわたしは歌うことができなくなってしまった。下手くそでも歌っていた。理解されなくても歌っていたんだよ。似合わないステージに立って、汗水垂らして必死こいて歌をうたっていたんだよ。苦しかった。でも、苦しいことを続けるのはもうやめようと思った。中学生の頃の持久走を思い出す、全力で走って、後でバテて、息が苦しくてもう走れない。完走できたけれどわたしはビリだった。それとよく似ている。最初に全力出して燃え尽きてしまった。でも、それでよかったんだ。嘘つきでも、いくじなしでもわたしの音楽はかわいかった。わたしの音楽は強いものだった。爆発だった。文字通り心を込めて、叫ぶようにうたっていた。わたしは絵に対して強いこだわりがある。人目を気にして筆を折ってしまったこと。それ故に描けない日々が何年も続いた。だから、スタートラインにやっと立てたところで、わたしにとって光なんて、程遠いことも知っている。もしかしたら絵を描くことで救われないかもしれない。でも、いつか、いつか光が見えるかもしれない、そう思って筆を握っている。キャンバスに向き合っている。まだ自由なんて手にすることができない。できることを祈って、必死で向き合っているんだよ。生きている感じがする。やっとこの感覚がわかった。創作の過程の苦しみの中で、生きている心地が味わえることを知った。何万文字にも表現できない心のなかが、絵、でならできる気がする。絵を描くために精神も肉体もすべて捧げているから。筆を握った時、汗をかいて、キャンバスに絵の具を塗りたくっているから。みんな、そんなわたしを見て笑うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。でもやっとつかめたこの感覚を、わたしは忘れたくない。だから絵を描く。筆を握る。キャンバスに向き合う。