わたしを殺しなさい

大好きな季節、週4バイト、喫煙所を探して服を脱いでまた新しい服をきて、電車を待ってシヤワセを追いかけるためはたらいて。

シヤワセってなんだろー?(^_^)

 

シヤワセってとき、あったはずなんだけど、どういうものかわかんなくなるね。

 

一人ぼっちで家にいるとき、キッチンの水滴の音だとか、テレビの雑音だとかいうものが、こどくを満たしてくれる。去年花をもらったの。枯れた後も部屋に飾っておいた。枯れたあとも朽ちたあともきれいなの。こどくをうめてくれた。もらった花だから。花をもらったから。わたしはわたしをやめることはできないよ。

ソウとウツの狭間で

ソウのわたしもウツのわたしもわたしであるというのは、自分が分離したブッタイのようで気持ちわるい、ので、受け入れられなかった。ソウのときも、ウツのときも、気分がただお外のお天気が変わるときみたいなだけで、ソウでもウツでもわたしはわたしである。ソウもウツもそれをひっくるめた躁鬱病アイデンティティとして受け入れるしかない、そうしてまずい薬を、一生死ぬまで飲み続けなければならない、ということを突きつけられたとき、わたしは正直絶望した。治るということ、ただそれだけが光だったから。治すことを、目標にしていたから。今はまあいいやの気持ちで生きている、なにごともそうかもしれないけれど、まあいいやと思えることがだいじ。まさか自分が精神病むとはおもっていなかったよ、自分自身でうみだしたものだとおもっていたし。そうではなくて、それはマグマのように湧き上がってきたものだった、時限爆弾のように爆発しただけだった。絶望することはもうやめたの。歳とった人がまるくなる、というけれど、そこまでは言えなくても、わたし、なんだかやり過ごすことがうまくなったみたい。年の取り方がわかってきたみたい。もし躁鬱病のひとがいたとして、わたしは絶望しないでって言いたい。躁鬱病のきみがきみだから、ね。

神様のバカ

たばこに火をつける。忘却、気持ちいい。生きている。

救われたいから祈ったりするんだけど、神様はいるんだよ。汚れてる街、全部ぐちゃぐちゃの絵の具みたいに混ざり合っている。そこにいる。

雨で濡れて真っ黒になった歩道をあるいている。わたし、全部忘れてしまうの。きのうみた夢も、今日あるいた街のことも、この感情もこの感覚もすべて。あのね、方法はなんでもいいから自分を忘れることが気持ちいいんだよ。星の王子さまにでてきたあのアル中とか、みたいにね、忘れることで気持ちよくいてる。あの日江ノ島の海に消えたあの子みたいにね、きえちゃう前にね。ねえ、あの子はちゃんとシヤワセだったかな?ちゃんと救われたのかな?神様のバカ、って思っちゃう。

生きる

 

 

ラゾーナに行ってヘアゴムを買った、リボンのやつ。

紺色のリボンなので暑い夏にぴったりです。

少し伸びた髪を結う、ああ、今年もこの時期が来たんだね。

 

どうしようもなくなったとき、わたしは世界から振り落とされたような感覚に陥った、リボンでも首輪のひもでもいいから何か世界と、人々とわたしをつなぎ留めてくれるものが欲しかった。生きてる実感が欲しかった。

どうしようもなくなったとき人は自分をやめたがるほぼイコールでしにたくなる?

 

自分をやめようとしなくても自己不在の人って多いんでしょう、他人に夢を託しているから、もう諦めちゃっているから?

 

踊らされている。わたしたち。誰かが決めたルールや大多数の意見なんかに従って目隠しされて生きている。

お前はお前を生きなくちゃいけないし、わたしだって生きるほうを選んだから、わたしはわたしを生きなくちゃいけない。自分で掴み取らなくちゃいけない。

 

生きている。

生きるってことがどういうことかわかんないけど。

 

生きるって大変だね、自分の足で立たなくちゃいけない、過去も未来も同じだよ、食べ物食べて生きながらえる、只それだけなのに、必要であれば子孫を残したりとか、人間のやることなんて、ほんとうは只それだけなのに、生きる為におカネを稼ぐことはこんなにむずかしいの、忙しいの。シヤワセを追いかける為働く、「目的」すら忘れそうになって、ちょっと先に手を伸ばそうとして、でも忙しくて、ラインも放置で、働いてコンビニのご飯食べてコンビニ人間になっても、泥だらけになってデートにいけなくても絵が描ける時間がなくなってももうちょっと先の多分あるであろう、つかめるであろうシヤワセの為に、わたし、働く働く。

 

つなぎとめてくれるもの、見つかんなかった。

あるとすれば紐、みたいなかなしいものなんかじゃない、見たい情景があるし、会いたい人がいるし、胸を焦がす言葉や歌や絵があるであろうから、

生きるほうを選んだから、

もしこの先どうしようもなくなったとしても、わたしはわたしを生きなくちゃ。ね。

服を脱いだ日(犯罪被害者の手記)

わたしは騙されやすい女だと、人は言う。
憎い男がいる。憎んでも憎みきれない男。
夏が来た。あの日も、とてもあつい夏のことだった。

ひきこもりのわたしはタロットや占いの勉強を1人で暗い部屋でしていた。インターネットでタロットの教室を見つけた。幸い、住んでいるところも近く、友達を作ったりできるかもしれないし、何より勉強のために、電話をしてすぐ行くことを決めた。まさかあんなことになるとは思わなかった。
指定されたマンションに行くと、20代らしいが、それより若く、いや幼く見える、ボーダーのシャツを着た女が迎えに来る。わたしはエレベーターで5階位のところにあがり、その男と会った。
玄関には、確か水晶ややさしい仏様のような絵が飾ってあった。香の匂いもする。取繕われた空間。男はいそいそと部屋の奥から出てきて、軽く挨拶をした。優しそうな男、という第一印象。男と、有名人と一緒に取られた写真が飾ってある。この人はこう言う人で、と自慢げに男は解説をした。なんとなく、この占い師、すごい人なんだな、と思った。

案内してきた女と、その友人、そして例の男とタロットの話をした後、謎の祈祷に参加させられた。怪しげな神棚を前に祝詞を唱える。お布施で千円取られたがなにも言わなかった。よくわからないまま唱え続けた。怪しいとか、怖いとか言う感情はなく、まさに郷に入っては郷に従え、と言う感じで。後々わかったことだが、男は宗教に入っていたらしい。
男の家で生徒達の手作りの夕ご飯を食べ、宗教のビデオを見ながら除霊の話や守護霊の話をした。わたしの習い事の先生がそう言う話をよくしていた方で、そう言うのに抵抗はなく、わたしは未知の世界になんだかすごいなと思いながら話を聞いていた。午後11時を回った頃、私には霊が憑いているということで1人、マンションの一室に残された。案内してきた女や、その友人達はとうに帰っていた。

霊が憑いている。除霊をしなければならない。
そう言うと、男はわたしに服を脱ぐように、シャワーを浴びるように促した。
わたしはなんの抵抗もなく服を脱いだ。シャワーを浴びた。なにも疑問に思わなかった。むしろ霊が憑いているという、そのことが恐怖だった。はやく診てほしいと、ただそれだけ。
裸を触られる。さらに、カメラ越しに霊が映るというので、素足で、言われたままに足を広げる。体を舐められる。目を瞑るように言われ、キスをされる。わたしは必死で耐えた。ものすごい嫌悪感に襲われた。気持ち悪かった。けれど、これは除霊に必要なんだと。こうするしか、わたしは幸せになれないんだと。やっと幸せになれるんだと、自分に言い聞かせる。嫌になって帰ろうとすると、手を掴まれ、怒鳴られた。逃げることができなかった。これ以上何をされるかわからなかった。翌朝、男の赤いスポーツカーに乗って帰った。

当時付き合っていた彼氏に、そのことを話すと警察に突き出すように言われた。
男は裁判にかけられ、懲役2年ほどという刑に決まった。あの日から一年以上、経っていたと思う。
長々と続く警察の取り調べは辛かった。なぜ、その男を信じたのか。なぜ、服を脱いだのか、しつこく問われ続けた。わたしはこれが犯罪ということがわからずに、洗脳された頭がからっぽなまま、あやふやな答えをぽつりぽつりと言うだけで、何故あんなことになってしまったのか、何がいけなかったのか、とひたすら自分を責め続けた。
捜査が進むにつれて、犯罪の被害者が次からボロボロと出てくる。わたしが犯人を突き出さなければ、何人も被害者が泣き寝入りしていたと、犯人は同じ手口で、セックスまでしてしまった女の子もいたのだと、聞いた。
犯人に向けての手紙を書いた。もう内容は忘れてしまったけれど(ここに書ければ良かったけれど)、10枚書きなぐった。悔しかった。ありきたりな言葉だが、普通の女でいたかった。普通に仕事して、普通に恋愛して、という将来をなんとなく思い描いていた。犯罪の被害者になるなんて思っても見なかった。犯罪被害者という透明な看板をぶら下げている。誰もわたしのことをしらなくても。
思っていた未来とは違う現実を見ている。

うつ病のこと。騙されて風俗で働かされたこと。犯人にはすべて悩みを打ち明けた。すべての悩みが霊のせいと言うから。つらかったことばかりだったから、洗いざらいすべて話した。
でもそれは違った。自分の人生に責任をもっていなかっただけ、ということに気づいた。何かのせいにしたかったせいで、こんな目にあった。後悔した。すごくかなしかった。大切なものを取られてしまったような、何か失ってしまったような感覚に陥った。
何も疑問に思わなかった。カメラで陰部の写真を撮られていたことも、男が薄汚い下心からわたしのからだをなめたことも。すべて、ほんとうに除霊のために必要なんだと思った。ただそれだけ。騙されやすい人は純粋なのだと人から言われた。白いものは、すぐ黒ずんでしまうのだと。恥ずかしい。そんなこと言わないでくれ。すべてなかったことにしたい。その後、わたしはその町から離れひっそりと暮らしている。犯罪にあった過去は消せない。消せないまま、1人の女をやっている。ふりをしている。消費された体の、見えない傷を消せないまま。なんでもなかったことだよ、と自分を慰める。シャワーで体を洗い続ける。もうあんまり覚えていないんだよ。女がボーダーの服を着ていたことくらいしか。

洗脳

すべて洗脳だ。学校の教育も、テレビから流れる映像も、ネットの海に漂う情報も、すべて洗脳だ。

洗脳が恐怖である。染まられる。染み込んで、私がわたしでなくなる。受け入れられない。すべて拒絶した。

自分の世界に閉じこもっているのは気持ちいい。自分の世界だけで完結している。

 

閉じこもるのをやめたい。けれど、洗脳されるのが怖い。誰か部屋から救い出して。

(それは)そうとうつうつ日記

今私の目の前に、食パンが2枚並んでいる。これを食べるべきかどうかで悩んでいる。そのぶん何も楽しくないし何も感じられないまま過ごすことになったとしても、何も考えず何も食べず生きられたらいいなあと思っていた。と言うか自分にものをたべる権利すらないと思っていた。何をするにも面倒だし、このまま死ねたらいいなあ、とか客観的に言うと暗いと言われるであろうことを考えたりしていた。数時間、一日くらいは耐えられるのだが、まず、数日後にお腹が空くと言う欲求が始まる。だんだん無視できなくなりそして欲求を満たすための行動が始まる。そうしつつ、その欲求を満たす行為ですら面倒と思っている。死ぬには固い意志が必要なんだなとパンをかじりながらなんとなくわかった。そしてそうすべきではない行為、と言うのをなんとなく本能で感じた。あとあいつらのために死にたくないなあと思った。正直すごく切羽詰まっていたしいろんな方法を試そうとした。

引きこもって全て思想と欲求を閉じ込めていたある日、つい目にし(てしまっ)た漫画が面白くて生きようと思った。中島らもが言うところの「その日の天使」である。そうやって生きてきたし多分これからもそうなんである。でも、未だに食パンを無理して食べるのと、生きるほうを選ぶのどっちがいいのだろうと言うことを考えたりする。でもこれは暗い思考でも悲観でもなく冷静な諦観と呼ばれるヤツなのかもしれない。私には悪魔がいる、もしかしたらパンが、私が、悪魔?なの?かも???しれない??????