黒く絵を塗りつぶして、大人になる

今日も黒く絵を塗りつぶした。うまくかけなくて、絵が見えなくなる迄塗りつぶす。

ノートは黒く塗りつぶされた絵でいっぱいだ。今迄もそうやってきた。そうやって、わたしは大人になった。

テレビの明かりだけで過ごしている。まぶしくて、カーテンのすきまから見える今日という日を受け入れるのを、拒んでいる。明かりをつけて、今日という日を迎え入れるのを、拒んでいる。

昨日は何をして、何の服を着て、何を食べたっけ。毎日、同じことの繰り返し。やることがないから、恋愛をして、やることがないから、日記を書いたり、する。

ずいぶん昔のことだけれど、わたしが閉じこもってから7年経つことに気づいた。家からでない、という意味ではなく、(実際あまりでていないが)何を閉じ込めたかというと思想を閉じ込めた。経験や勉強は穢れだと思ったから、思想を閉じ込めた。いっさい情報に触れず誰とも接触しないようにした。傷つきたくないからという、自分かわいさで。あのときからわたしは全く変わっていない。もう7年か、とおもうほど、季節が過ぎ去るのが早い。時間が止まっている。季節だけが、わたしを通り抜けていく。

それをやめられる日を待っている。見えない敵と戦っている。冬はまだ長い。また絵を黒く塗りつぶした。

女はバカのほうがいい

と言ってるひとがいた。

元彼が新しい彼女のことをあの子はバカだから、と言っていたのを思い出した。

宇宙人

宇宙人みたい、と言われることがある。なんで?と聞いたことがないから、理由は分からない。

友達が「私は本来の自分を消して社会生活を送ることを人間のふりと呼んでいる。」と言っていたけれど、それにちょっと似ているのかもしれない、私は普通や当たり前が分からず人間のふりをして、それができきらない自分のことを宇宙人、と呼んでいる。

自分でも自覚していた。前も少し書いたけれど、小学四年生の時にみんなと会話があわないことに気づいた。みんながおもしろいと思うものに興味がなくて、みんなテレビやマンガの話をたのしそうに話しているけれど、それがまるで違う言語のように聞こえていた。登校中にふと空を見上げた時に、自分はきっと宇宙人なんだ、と感覚的に思った。未だにみんなのものさしがわからない。なにが当たり前で、なにが正しいのか。

 

宇宙人のわたしは、引きこもりだ。仕事も続かなかった。当たり前や普通と呼ばれることがわからなかった。できなかった。社会的に適合できず、淘汰されていくタイプなのだろう。そういう人種がいるのだと中島らもの本に書いてあった。感受性ばかり強かったのが、もっと敏感になっていく。こういうタイプの人間(と呼んでおく)は、合う職場、コミュニティや友人を見つけてやっていくしかない、と思っている。わたしにも感性的に合う友達がいて、そういう時は宇宙人という感覚はなくなる。。職場は見つからないので、引きこもりだけれど。一筋縄ではいかない。正直生きづらい。

 

日の明かりがきれいだった。カーテンの隙間から金色の光が輝いていた、指でそっとカーテンをめくって、そっともどした。ほかの宇宙人はどう生活しているのだろう。たまに空を見上げて探している。

生活

わたしとは関係のないニュースがやっていて、どこかでわたしとは関係のないだれかが死んで、どこかでわたしとは関係のない誰かが殺されている。わたしはテレビを静かに消すと、部屋はしんと静かになった。築50年の家の中で水滴がシンクに弾ける音だけが聞こえる。

何日も眠ったままのときがある。あまり外に出ない。家にずっといる。たまに絵を描いたり本を読んだりしているけれど、ほぼ眠っている(なにしてるの?とたまに聞かれるとくるしくなるのはそのせい)。仕事は6ヶ月しかつづかなかった。躁鬱をだましだまし働いていたけれど、怒られて、怒られて、ウツになって。それ以来働いていない。元々感受性が強い方だった。引きこもって、自分の殻に閉じこもって気持ちいい、はずなのに孤独。かきむしられるようなくるしさ。収入は彼氏からのお金で、彼がセーフティネットだったけれど、別れてしまったら今月、家賃払えないじゃん。ビンボーだと心がすさむ。悪いことも考えた。こんな仕事、と言って怒る人もある。精神を病んでいて、働けなくて、ずっとビンボーだ、お金がないという状態はお嬢様にはきっとわからないだろう。

生活できるすこしのお金があればいいのに、それすらむつかしい。学生時代聞かされていたように働いて、稼いで、いつか結婚するみたいな理想の生活が普通であたりまえにそれができると思っていた。現実は違った。テレビを見てドキッとして、わるいことばかりかんがえてしまうから、忘れるために今日も眠ってばかりいた。きのう潮風に吹かれた髪がごわごわする。

無題

わたしは本当にわたしなんだろうかという狂った自意識があるし、だれとも会ってなくて、だれとも会話していない日々がつづいたりすると自分は幽霊にでもなってしまったんじゃないか、本当は人から見えない存在なのではないかという妄想に似たことを、すこしおもってしまうのである。たとえば駅の構内で行き交う人々とすれちがったときなんかに。ここ数日そんなことばかりを考えている。

躁鬱日記

ラミクタールで躁転してしまったのかここ数日続いている躁状態のせいでねむれないので現在の状態について記録をする。

煙草を吸った時にきづいたこと(のどが焼けるので途中で火を消して深呼吸を数回した)

 

○何人もの自分(下記参照)がいるので本当の自分がだれなのかわからない。

【現在分かっている分の4つの気分状態による分裂した自己】

a,躁状態のわたし 例:無限の万能感、不眠、買い物欲求

b,鬱状態のわたし 例:無気力、気分の落ち込み、時に自殺欲求

c,外的要因のため元気なわたし

d,外的要因のため落ち込んでいるわたし

e,その他 例:バランスのとれた状態、もしくはそれ以外の確認できていない自己

※a=cではなく、cによってaの状態になる、かつb=dでもなく、bによってdの状態になるということはわかった。

※c,dは"きっかけ"であり、a,bは"状態"

※a,bの状態になるのに必ずしもc,dが絡んでくるということではない。

理想はどの状態の自分もわたしであると思えること、認められることだが、今は気分により自己や自我が分裂されている。自分のコントロールできない気分に振り回されてつかれる。

 

以下は今日のツイッターに書き込んだ躁鬱についてのわたしのつぶやき。

 

躁鬱病において(精神的な病気全般に言えることだが)病気だということに患者本人が"気づきにくい"ということがわかった。

また、客観的に自己を観察するためその都度a〜dについて自分で確認、把握していることが大切

 

○そういう意味で理解者は必要。第三者の視点が要る。

 

○気分の波をコントロールできないのが躁鬱病であるので、コントロールする(病気だと認めないで鬱の時でさえがんばろうとすること)は不可能であることにも気づいた。

 

気分の波を平坦にしていくことが躁鬱病における治療の目標だと主治医は言う。

今は気分に振り回されてつかれている状態なのでまだまだ寛解は先。

 

【メンタルをやんで気づいたこと本日分】

1、メンヘラという言葉を聞くと自分のことを指されていなくても傷つく。

2、発言が信用されにくい。

 

以上

橙色の裸

世界がアパートの一部屋の中で完結していたので、外界に出ると自分のぼけについてきづいたりする。たとえばねこの動きだとか。えんぴつのもちかただとか。そんなところ。

ハンちゃんはクラスのみんなから渡されるわたしの誕生日カードにえんぴつをもつ自分の絵を描いてよこした。しかも手だけ。うわこれって絵の練習じゃん、みたいにおもったきがするがなんで?みたいに思わせるところがハンちゃんらしかったとおもう。

一度だけハンちゃんの裸をみたことがある。とても暑い日に。遊んだあとの冷たいシャワー室で。いまどきでいうちょっとぽっちゃりした体だった。いやらしい気持ちなしにわたしはまじまじと‘‘観察‘‘した。同じ年の、近しい存在がこんなからだをしているのか。というように。セミが鳴いていた。

昔から裸に興味があった。純粋な気持ちだったとおもう。他と、自分。そしてどうやって生まれたについても。初めて読んだ本は、性教育のはじめのはじめ、みたいな本で、生まれるまでの過程、そして男女の体の違い、みたいな本だった。すごくどきどきした。あと星座や美術の本もすきで、よく本を借りていたのだけれど、よく裸がでてくるから、どきどきしながら、またなぜか罪悪感をちょっとだけかじりながら読んだりしていた。

ねこは裸。りんごも裸だ。人間だけが服を着る。羞恥から逃れるため。おめかしのため。わたしはそういうものであるというあたりまえだから、ってだけで着ているのかもしれない、もしみんな裸だったら裸だろうし、もしみんなくつしただけだったらそうしていただろうけれど、そう考えるとちょっとおもしろい。そのかわり裸になるのは恋人との、たいせつなときだけというのも神さまが意図したものなのだろうか。来月は裸のりんごの絵をかきに絵画教室へ行く。ハンちゃんがくれた手の絵や、美術の本でこっそり見たよくしらない画家のように変な色の裸婦を描くまでどれくらいかかるのだろう。絵画教室までは遠いから、大変歩かなくてはいけないというのももどかしい。あきらめそうになって、でもがんばって、少しの希望だけでなんとかやっている。