すべての幻想を打ち破ってゆく。

小学生の頃教わったことと、いま自分が大人になってある現状の自分に大きな差があることに最近気づいた。小学校では夢や希望を無理矢理抱かされ、その度に作文を書いた。20歳をすぎたわたしは、夢も希望もなく生きている。

 

子供の頃、うすうすと自分と他人との間にずれがあることを知っていた。

今大人になってみると、自分自身が発達障害気味であることや、親の教育方針、宗教的理由から制限が多かった、など思いつく要素はいくつかあるけれど、当時はソレが全くわからなかったしついていく意外の答えがなかったから、制限の奥の、みんながあたりまえに好きなもの、ことに追いつくことに必死だった。好きでもないアイドル好きでもないキャラクターを必死に追いかけて周りのおしゃべりについていくのが必死だった。アイデンティティがなかった。今もない。空洞なんだと思います。たぶん。まあいいや。

そんななか、ある日自分のことを宇宙人じゃないかと思うことにした。小学生の頭でも絶対あり得ないことはわかっていても、自分を宇宙人と思うことで他者とのずれ、なんとなく見えない壁についてを解消はできなくても、なにかのせいにすることはできた。その時に見た空がとてもきれいだった。小学四年生の時だった。

夢、はないけど当時のわたしの希望はみんなとすこしでも近づくことだったかもしれない。

前の会社では辞表届けを出す時にあたまがおかしいんじゃないか、と言われた。もうたばこはやめたけど、その後喫煙所でちょっと泣いた。何が変なのか教えてほしかった。心を病みながら社会に入っても、対人でなやむことが多くて、その中で自分の内で対人に対する無意識的な回避、を行っていることに気づくが、「変」と言われ続け、「頭がおかしい」自分をじぶんでも扱えない。いまでも自分を宇宙人だと思っている。

 

夢や希望を持ってないと生きられないと思っていた。夢や希望を持つことが当たり前のように聞かされていたから、自分は何者かになれるのだと思い込んでいた。あれは教師から抱かされた幻想で、結婚すればになれば幸せになれる。子供を持てば幸せになれる。そういうあまい幻想がたくさんあるらしい。気づくのが遅かった。親や学校で教わったものすべてが正しくなくて。わたしは、そういうのをすべて打ち破ってやっていくしかないんだといまさら知る。楽なようで、多すぎる選択に苦しむ。もし自分がいま同じ作文の宿題が出たらなんて書こう。わたしはいったい何者になりたいんだろう。何者になれるのだろう。