橙色の裸

世界がアパートの一部屋の中で完結していたので、外界に出ると自分のぼけについてきづいたりする。たとえばねこの動きだとか。えんぴつのもちかただとか。そんなところ。

ハンちゃんはクラスのみんなから渡されるわたしの誕生日カードにえんぴつをもつ自分の絵を描いてよこした。しかも手だけ。うわこれって絵の練習じゃん、みたいにおもったきがするがなんで?みたいに思わせるところがハンちゃんらしかったとおもう。

一度だけハンちゃんの裸をみたことがある。とても暑い日に。遊んだあとの冷たいシャワー室で。いまどきでいうちょっとぽっちゃりした体だった。いやらしい気持ちなしにわたしはまじまじと‘‘観察‘‘した。同じ年の、近しい存在がこんなからだをしているのか。というように。セミが鳴いていた。

昔から裸に興味があった。純粋な気持ちだったとおもう。他と、自分。そしてどうやって生まれたについても。初めて読んだ本は、性教育のはじめのはじめ、みたいな本で、生まれるまでの過程、そして男女の体の違い、みたいな本だった。すごくどきどきした。あと星座や美術の本もすきで、よく本を借りていたのだけれど、よく裸がでてくるから、どきどきしながら、またなぜか罪悪感をちょっとだけかじりながら読んだりしていた。

ねこは裸。りんごも裸だ。人間だけが服を着る。羞恥から逃れるため。おめかしのため。わたしはそういうものであるというあたりまえだから、ってだけで着ているのかもしれない、もしみんな裸だったら裸だろうし、もしみんなくつしただけだったらそうしていただろうけれど、そう考えるとちょっとおもしろい。そのかわり裸になるのは恋人との、たいせつなときだけというのも神さまが意図したものなのだろうか。来月は裸のりんごの絵をかきに絵画教室へ行く。ハンちゃんがくれた手の絵や、美術の本でこっそり見たよくしらない画家のように変な色の裸婦を描くまでどれくらいかかるのだろう。絵画教室までは遠いから、大変歩かなくてはいけないというのももどかしい。あきらめそうになって、でもがんばって、少しの希望だけでなんとかやっている。