忘却の果てには

今日もテレビの明かりだけでこれを書いている。

昨日のことを思い出してみる。スーパーに行ったことは覚えている。彼がお惣菜を買ったんだった。友達とバラを見に行った。それ以外のことは、なんだっけ。何をして何を考えていたんだっけ。

これを私にとって忘却することは恐怖であるけれども、忘却したことすら忘却していたことに気がつく。思い出せるならまだしも、なぜか一ヶ月間記憶が抜けていた時期があって(撮った覚えのないプリクラで思い出した、医師はそれを解離と呼んだ)、それ以来日記を欠かさず書いていた。もともと生きていることに執着がないからか、普段から生きている感覚が薄い。思い出せない過去があると、自分の存在を認識することすら危うくなる気がしてこわい。忘却の果てには何が待っているのだろうか。その状態は苦しいのだろうか。それともいっそのことそうなれた方がシヤワセなのだろうか。

おカネとか、政治とか、宗教とか、セックスとか。薬のせいか、深く考えることができなくなってしまった。それで、どんどん時間だけが過ぎていきどんどん色々なことを忘却していく。メモを取ることすら忘却するし、メモを取るということに頭が回らないのでいよいよ存在が危うくなってきた。目の前がぐるぐるする。思い出や過去や現実を確実に記録してそれがあったことにしておきたい、ということにしがみついておきながら、忘れたい、ともしかしたらそう思っているのかもしれない。忘れるために薬を飲む。忘れることで、肩の荷が下りると大人たちは言うけれど。