聖命

F4のキャンバスに絵を描いている。描く工程は苦しい。描くことで自由になれると岡本太郎は言っていたけれど、 自由になんか手が届かない。それでも筆を握る。色を塗り重ねる。わたしなんか、わたしなんか何者にもなれやしないのかもしれない、でも、今度こそ光が見たいから、ほんの少しでもあとちょっと光が見えそうだから絵を描いている。今年になって歌うことをやめた。限界を感じた。年齢的にも、精神的にも、わたしはステージに立てるほどの強さを持ち合わせていなかった。歌うことはただただ苦しかった。わたしの音楽は誰にも理解されない音楽だった。それでも歌いたかったから歌っていたのだけれど、夏が過ぎて、秋になって、またわたしは歌うことができなくなってしまった。下手くそでも歌っていた。理解されなくても歌っていたんだよ。似合わないステージに立って、汗水垂らして必死こいて歌をうたっていたんだよ。苦しかった。でも、苦しいことを続けるのはもうやめようと思った。中学生の頃の持久走を思い出す、全力で走って、後でバテて、息が苦しくてもう走れない。完走できたけれどわたしはビリだった。それとよく似ている。最初に全力出して燃え尽きてしまった。でも、それでよかったんだ。嘘つきでも、いくじなしでもわたしの音楽はかわいかった。わたしの音楽は強いものだった。爆発だった。文字通り心を込めて、叫ぶようにうたっていた。わたしは絵に対して強いこだわりがある。人目を気にして筆を折ってしまったこと。それ故に描けない日々が何年も続いた。だから、スタートラインにやっと立てたところで、わたしにとって光なんて、程遠いことも知っている。もしかしたら絵を描くことで救われないかもしれない。でも、いつか、いつか光が見えるかもしれない、そう思って筆を握っている。キャンバスに向き合っている。まだ自由なんて手にすることができない。できることを祈って、必死で向き合っているんだよ。生きている感じがする。やっとこの感覚がわかった。創作の過程の苦しみの中で、生きている心地が味わえることを知った。何万文字にも表現できない心のなかが、絵、でならできる気がする。絵を描くために精神も肉体もすべて捧げているから。筆を握った時、汗をかいて、キャンバスに絵の具を塗りたくっているから。みんな、そんなわたしを見て笑うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。でもやっとつかめたこの感覚を、わたしは忘れたくない。だから絵を描く。筆を握る。キャンバスに向き合う。